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はじめに

人は何故、この世に産まれるのでしょうか。

人は、この世で何をなすべきなのでしょうか。

何ができるのでしょうか。

人はこの世に“生”を得て“存在”している事それ自体、すでに何かを与えている存在なのではないでしょうか。
それに気づくか気づかないかの差であって・・・。
何かを選択し発言し行動することはすでに、誰かに良かれ悪かれ影響を与えているのだと思います。
その証拠に悪い事件のニュースは伝染していますよね・・・。
バランスなんだと思うんです。

自分が生きていると実感するときって、誰かや何かに『生かされている』と、気づき体感するときなんじゃあないでしょうか。

自分の価値に気づき誰に何を与えることが受け手に与えてもらったと実感してもらえるのか、人生の中で試されているような気もしませんか?
自分の価値を探求する事は生かされている事に気づく為のひとつの道なのではないでしょうか。

何かを“与えてもらった”という状態は受け手の方が判断しているのであって与える側は普段意識していないのではないでしょうか。
『与え方』にこそ、自分の存在意義を高める秘訣があるのではないでしょうか。

私は自立し独りになったとき、独りでは何もできないことを感じ学びました。
一人ひとりが自分の役目を果した時、大いなる目標を達成できるのではないかと最近よく考えています。

文明が今以上に進歩する為には人類が第三の眼を開く時期が近づきつつあると思いませんか?

人は何故この世に生まれ、この世で何をする為に“生かされているのか”その命題を追求するにあたり、われわれはいつも大いなる意思と繋がっている実感を得られればと考えております。